痩嶺坂


神楽坂1丁目と市ヶ谷船河原町との境を外堀通りから入って西北に向かい、
若宮町へ抜ける上りの坂をいう。昔、梅の樹が多かったため、
江戸時代初期、二代将軍徳川秀忠がここへ来たとき、
中国の梅花の名所の痩嶺(ユレイ)の地名をとって命名したという。
別名,行人坂、幽霊坂


---メモ----
市ヶ谷船河原町とは不思議な名前だ。外濠は
飯田橋駅のところで堰上げされ、船が上がってこれない。
「新宿区町名誌」で調べて見た。
この名前は江戸時代より前からあったものらしい。
徳川家康が江戸城を造るまで、皇居前の日比谷通りは
東京湾が入り込んでいて、奥の深い入江だった。
そして、現在の後楽園あたりは汐入の大きな池(白鳥池)があった。
この池から四谷方面に川が入り込んでいて、
船河原町あたりには小さな池があったようだ。ここ池は川から
牛込台地側に少し入り込んでいて、絶好の船溜まりだったようだ。
この池は外壕が造られる前の川(ジク谷)の水源の1つだった。

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