中国雲南省・貴州省南部の環境の状況について

五十音設計(株)保坂 公人

はじめに

 私たちは1998から中国の南部、貴州省興義市で農業由来の河川水質汚染状況調査と汚染除去のための適正技術開発を進めている。しかし、NGO組織での活動には時間的にも資金的にも苦労が多い。汚染状況は把握できてもその除去技術の開発を思うように進められないのが現状である。それでも広い中国の中で他の地域ではどういう状況であるのかを広域的に把握するために1999年後半から雲南の南部に調査の範囲を広げることとなった。2001年5月までに2度の調査の実施したが、今回は雲南省の省都・昆明を拠点に興義(往復700km)、金平(往復900km)の間の見聞を中心に報告する。
 なお、調査用の詳細地図は私たちには入手できない(それぞれのサイトでは自由に見せて貰った)ので市販の全国道路地図を使用した。しかしこれには標高の記載がない。本文中の標高は持参した簡易高度計で計測した。原点補正も行ったが100m前後の誤差はあるものと考えている。
 昆明のデンチ湖の汚染調査と浄化計画には日本の援助もある。(報告書の抜粋を添付しておく)また、雲南省環境保護局の資料によっても水質、大気、廃棄物そして生態系の破壊のなどに警鐘をならし、改善計画が急務であるとしている。

貴州省興義市まで
水源

 興義市の飲用水源「興西湖」に行った。1990年頃には飲用水源にもかかわらず観光地化していて、多くの遊覧船があったとのことだが、現在は管理用の2隻と、奥地の村人用のもの2隻が残されて水質管理上効果を上げている。
 昨年、ダムの排水口でトラブルがあり水位が大幅に低下し、水の入れ替えができて水質は透明度で見る限りでは良くなったようだ。
 次に訪問したのが「木浪河水庫」。地形を利用した細長い貯水池(人工ダム)で水質は透明度で見ると秀逸であった。飲料水と農業用水との攻めぎあいが見られるようである。

酒造残渣(貴州省は茅台酒の産地である)

 茅台酒「貴酬醇」の工場からでる酒粕を籾と混合して醗酵させ、それを畑に広げて乾燥させて袋詰めにして、後からトウモロコシの粉を混ぜて養豚の餌にするとのことである。かなりの面積で、手作業で行われており、醗酵の断面を見ると白い放線菌のような縞模様があり、散布時には湯気が立っていた。乾燥は麦踏みのように人が足で蹴飛ばすようにして、これも人手に頼っている。機械化は先の先の感がある。当初は有機質堆肥を製造し、畑に入れていると思ったが、見込み違いであった。
 前回報告した食用カンナの澱粉をとった後の残渣も、同様の手法で醗酵させることができれば問題解決に一歩近づくと感じた。

新駅を中心とする新しい町

 貴州省と雲南省の境界の町、威舎(鎮)の都市計画と進行状況を、地元の共産党副書記の説明と案内で見て回る。計画図には「浄化処理場」の文字が見えるがまだ着工もしていない。当分着工される様子はない感じである。現在、人の町の中心地人口が7000人の居住区に生まれ変わる予定という。威舎は新設された鉄道の要衝で、昆明まで鉄道で6時間、広州省の省都迄同10時間の所要時間と言う。これから急激に都市化が進むものと思われる。
 都市計画の中にマカオの商業資本をあてにした、水辺(水庫)を備えたレクリエーション地の計画があり、中国らしい筆跡で完成予想図が共産党の議場に飾られていた。衛生面は植生を残して、自然の環境容量(自浄能力)内に収めるとの説明があったが、机上の計算でしかないと感じた。

 この町では、公共の浄化処理場、遊園地の汚水対策と対象は明確であるが、お手伝いできるとしたらどういう条件が必要かが残念ながら見えてこない。

下水道

 興義市の中心地で下水の配管工事が順次進められているが排水処理場は建設されていない。威舎でもそうであるが処理場建設の計画はあっても手が付けられないのが現状だ。

大気汚染

 昆明では大気汚染防止のために昨年から石炭の使用が禁止されている。代替えは石油やプロパンガスである。ただ、電力など重要産業は代替え転換を免除されている。
 急速に発展している中国にとって、建築材料としての生石灰需要は増えているようだ。この生石灰の生産は昆明〜興義の至るところで見られる。作り方は土に直径3〜4mの浅い穴を掘り、一方に炭焼き釜のような炊き口を設ける。周辺に日本のカマクラのように20cm程度の石灰岩で壁をつくる。数段おきに石炭の段を入れる。ワラで周りを覆いながら粘土を塗って行く。その外を人頭ほどの石灰岩でおさえる。天井をつむ前に人頭より大きい石灰岩を詰めて行く。高さ2mほど積むと粘土でふたをする。いよいよ蒸し焼きをする。周辺には強い硫黄の匂いが漂い、焼き上がった釜の上には黄色く硫黄の結晶が凝集している。

 

金平までの問題

 途中までは石林までと同じ道を行く。路南から国道326号に入る。昆明を出て弥勒で右に1000mくらいの山脈がならぶ。開遠まで250km。雄大な山並みと緩やかな丘、北海道の富良野をもの凄く大きくしたイメ−ジである。雲南は「常春の国・花の国」のイメ−ジの通りで養蜂も盛である。ただ、道路沿いに続く並木がオ−ストラリア原産のユ−カリばかりなのが気になる。

 冬の雲貴高原は気候が穏やかでほとんど風もない。車が大きな町に近づくと、スモッグがド−ムのように大きく町を包んでいて、視界がひどく悪いところがある。多少の差はあるが工場のあるところはひどいスモッグだ。弥勒から開遠までは高原ながら水が多い。貴州省に入ると深い渓谷を刻む南盤江もここではなだらかな高原を大きく蛇行しながら流れる。丘から低地まで見渡す限りサトウキビ畑が続く。精糖工場からは白い煙が掃き出されている。開遠を出るとすぐ一般道に入る。標高は1200mくらいだろうか。また昇りにかかると個旧だ。この町を抜けると道はすぐに悪くなり、急激な上りになる。ガタガタ道をうねりながら上ると露天掘りの錫鉱山がある。平坦な山頂は1700mくらいだ。真っ赤な排水が谷地の田んぼに広がる。この旅行中に鳥を見るのは珍しい。トビだろうか?二羽の鳥が舞っている。巾が数十mあるは流れの緩い川は河床が上がり、天井川となっている。河原にトラックが入り浚渫している箇所も見かける。鉱山の沈殿池の機能が悪いためだろう。雨期には洪水被害が発生していると思われ、何らかの公害の危険性も感じる。水系が南盤江から紅河に変わっても、あちらこちらに規模の小さい鉱口がある。

 紅河の蔓耗橋に着く。開遠からここまで145km、ここで検問がある。このあたりの少数民族の人々は、ベトナムと中国の間を自由に移動しているという。標高は約200m、昆明の標高が1900mくらいだから1700ほどの高さを延々と、山裾を回りながら降りてきたわけだ。ここからまた1900mまで上り返す。急な山肌のほとんどが棚田である。人間の営みは何百mもの高さに小さな棚田を営々と積み上げてきた。

 粘土の畦は50cm〜2mにもおよび、一枚の田は1m2に満たないものもある。等高線に沿ってうねうねと曲がる長い田となる。この田はいろいろな少数民族が耕す。もちろん漢族も、山頂付近、2000mあたりでは焼畑が行われている。峠に上りきり、今度はまた延々と下ると金平県である。

 金平県の行政域は3,677km2(計算上ではおよそ60km四方)、人口は31.7万人である。この地域はベトナムと国境を接していることもあり、多くを自然保護地域に指定して自然環境の保全を図っている。自然保護地域に接して少数民族の居住区があり、集落ごとに民族が異なるケースが少なくない。少数民族については、同化政策はとられていない。

 今回の調査の目的は中国の環境問題の解決に、ボランティア活動できることは何か?を知るというものである。環境問題は汚れた環境を戻す面と、残された良好な環境を保全する面とがある。今回のテーマは後者であった。少数民族の既得(日本でいう入会)権と、自然環境の保全が両立していれば問題がないが、自然保護地域に接して居住する少数民族の人口増加、漢方薬原料等の市場化(現金化)で採取量が増加している現状から自然保護の手段が難しくなっているとの指摘もあった。

 雲南金平分水嶺省級自然保護区管理局の莫明忠科研所長の案内で、異なる少数民族の2集落と、自然保護区を3カ所を踏査した。調査期間は完全な乾期で毎日ほとんど快晴、乾燥で葉の薄い草本や木本は葉が緑色のまま乾燥していて、揉むと粉々になる。日本の常緑広葉樹のようなクチクラ層の厚い木本には枯れが見られない。樹木にも草にも笹にもコケ類が付着し、下垂している状態は生態学でMoss Forest と言われる環境で、湿度の高い植生の特性である。雨期には今では信じられないくらいの高湿度になるのであろう。

 前日に越えてきた峠をまた戻り、標高1700mくらいの村を訪問した。戸数86、400人の漢族の村である。100年以上も前に四川など周辺からやってきた。しかし、一族と言うわけではなく名字は10以上ある。各戸にトイレはない。大半の家が豚小屋を持ち、新年に食べるために飼育している。子豚は町から買ってくる。ほとんど黒豚で飼育は放し飼いであったが衛生上の問題からEU(ヨーロッパ連合)の援助で豚小屋整備をした。同じくEUが経済林の目的でスギの仲間の造林を奨励している。しかし、自然保護区管理局では自然保護地域に接する少数民族の土地には常緑のブナの造林を奨励している。村に車で入る道路を作っている。急斜面の山腹にへバリつくような道が2kmほど続き、途中崩壊地や沢を横断する。落ちれば2、300mはとまらないだろう急斜面である。EUの援助で道路を作っても、86戸の農家でこの道を維持できるとは思えない。援助を行う場合、現地調査と状況認識の大切さを強く感じた。

棚田文化のことは中国語で「梯田文化」と言う。

 少数民族の集落の生命線は、主として米作りであるが、傾斜地に棚田を作って耕作することであった。1ha3,000kgの収穫で、1人当たりの現金収入は約270人民元で、自給自足で生活に不自由はない様子である。しかし、現金が必要な生活になると新たな問題が表面化することになる。

 次に訪れた3kmほど離れたイ族の村は以前は道路の下にあったが地滑り崩壊したため上に村を移したという。この村は200年ほどの歴史があるという。

前記の莫所長の当時の報告書によると、戸数57、人口257、男127女130.年間所得268、44元、標高1660m、土壌ph5〜6、年間降雨量2370mm、年平均気温15〜16度。その当時作った村民規約にはずいぶんと厳しいことが書かれている。

 中国は雑多な時代が混在している。また、逞しく自然の資源を利用する国でもある。

製紙原料の木材が不足すれば、中国原産のイネ科植物を手植し(ほぼ1m間隔)、1.5m程度に成長した乾期に手刈りし丁寧に束にして出荷する。手で引っ張ってみても中々切れない繊維の強さがある。この草を植栽してあるところは急傾斜地で、食料のトウモロコシの栽培が難しい地味のところである。この草は雨期に成長し、乾期に収穫するのでエロージョン(侵食)防止にも役立っている。刈り取った後はまた成長するので、植直す手間もかかっていないようだ。とても機械が入れるような斜面ではないので、人手があり、手作業を厭わず、且つ、他に適当な現金収入の道がない条件で始めて可能な土地利用法である。

 ベトナム(越南)国境近くの熱帯にあるタイ族の集落を訪ねる途中に、金平市街地のゴミの再利用場がある。燃したものを土と混ぜて土を再利用するというコンセプトで、生態処理場の表示があった。まだ、昨年から稼働したばかりと言うがそれにしてもゴミの量が少ない。殆どのゴミは市街地かそれに近い道路際に無雑作に捨てられている。ゴミでは薄手の買い物の際に商品を入れる赤色のビニール袋が目につく。

 同じゴミでも食堂の残渣は豚(黒豚)の餌になっていた。1年かかって育てられた豚は新年(2月の新春)に「年豚」としてお祝いのテーブルに並ぶという。日本ではほぼ6カ月で100kg程度になるが当地では倍の時間がかかっているようだ。

 金平からベトナムの国境まで走る。調査地の標高は約300m

猛拉は市が立っていて大混雑していた。苗、ヤオ、タイ族それぞれに独自の民族衣装を着た女性たちが出店に群がる。

 タイ族の若い男性の家で話を聞く。家族4人、少数民族は二人まで出産が認められているて女の子が二人、上は8才という。高床式の家の中を見せてもらった。家は約4間四方、床は竹敷き、隅に蚊帳付きベッドが1つ、反対の隅に竹編みの壁にかこまれた部屋が一つ。中央少し壁よりにイロリ、中央に裸電球。豚小屋が一階にある。この村は5〜60戸だという。

勤勉な家庭でゴムの植樹を1000本して、来年からゴムの収穫が始まるとのこと。ゴム・プランテ−ションの排水処理に問題がありそうだ。

 もどって本流を国境の村、那発に向かう。分かれ道から5kmほどで大きな川に合流するこの川が国境だ。川の中洲では砂利取り船がいる。どっちの国のものだろう?川に沿ってすこし下ると橋がある。国境の鉄橋はおよそ100m、真ん中で塗装が変わる。中国側では白く塗られているが、ベトナム側は錆びている。

 金平の市街地に戻り、浄水場兼給水場を見せてもらう。市域人口2万人分の半量がダムからの原水をここでろ過して配水し、残りは各自の井戸に頼っているとのこと。給水配管本管はダクタイル、支管は鉄管であった。

 到底十分なろ過は期待できない施設の大きさである。塩素消毒された形跡も確認できず生水は飲用できないことがよく分かる。

 

 金平県の林業局予算が43人の給料を含んで年間60万元、アルバイトは禁止されていて、200万ム(15ムが1ha)の森林(内自然保護区が79万ム)の管理は予算上も並大抵でないとの話が出た。この対策には海外からの観光収入しかないとの結論のようであるが、観光客のモラルの問題があって自然保護との兼ね合いが心配される。

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