環境庁・環境カウンセラ−に登録されましたので、登録申請
の際提出した論文をここに掲載します。(平成10年4月1日付け)
(水質・廃棄物)

論題「環境カウンセラ−として、どのような活動を行いたいか?」

・ はじめに
 20歳代の前半に青年協力隊の建築隊員としてベトナム戦争で騒然としているラオスに赴任した。隣国の戦争の影響もあり、このラオスも共産勢力との協調関係に苦慮していた。このような途上国では建築設計を任務とする若い協力隊員ではなすすべがなかった。そこで、民間外交に徹して農業や教育などの手伝いをして友達作りに励むことにした。 ここで学んだことは「貧しくても美しい自然の中で生活する幸せ」だった。
 当時の日本は豊かになりはしたが、隅田川からは硫化水素が発生したり、車の排ガスや工場の煤煙によるスモッグなどの公害が社会問題として大きく取り上げられていた。豊かさの代償として、大きな犠牲を求められていたのだ。

・ 下水、ゴミとの出会い
 帰国してから考えたことは、建築家として生きながらも途上国に対して力になれることは何だろうか?ということであった。建築家は家は建てるが、排水やゴミの問題は他の専門家に任せることに疑問を感じた時、自分の新しい道が見えてきた。
 「排水やゴミも建築家の仕事と考えよう。」全くの素人があちらこちらの専門家や学者の間を走り回って少しづつ学んでいった。途上国でも、いずれは日本のような公害の悩みを抱える時が来るだろう。
その時には微力ながら役に立つ適正技術を学んでおきたいと思った。

・ 株式会社 エ−ビ−での実験(昭和55年より現在まで)
 勉強した結果を試すチャンスがやってきた。福島県の山林に工場を建設するのだ。約3ヘクタ−ル,標高差25mほどの赤松や山桜が美しく、北と東を田圃に囲まれた、小さな丘が丸ごと実験の場として提供されたのだ。
 東京の中小企業が地方に進出するにあたって、出来るだけ地域に迷惑を掛けない工場を建設して欲しいとの注文であった。
まず、外から見た時、緑豊かなこの丘に工場があるとは分からないように、雨水が周辺の田圃に出ないように、生活排水や廃棄物が周辺の環境破壊にならないように、等々..考えることはたくさんあった。
 まず、麓の小さな湿田は遊水池として残す、頂上は最小限度しか造成をしない。素掘りの池をつくり、これを防火用水兼雨水調整池として、屋根の雨を受ける。これを消防署に認めてもらう。頂上までのアクセス道路は周辺からは見えにくくする、道路に流れる雨 水は素掘り側溝にレキ石を入れたトレンチに吸い込む。道路に掛かった山桜は移植する。大きくて移植出来ない山桜はシンボルツリ−として道路上に残す。
 生活排水は処理をして、周辺の花壇に配水し、灌漑用水として利用する。
こうして、航空写真でしか存在が見えない工場ができた。現在まで何度も増築を繰り返しているが、外部からは全くわからない。
最近,隣接地を3.5ヘクタ−ル買収してさらに拡大したが、この開発思想に変更はない。 公園工場として地元新聞に紹介されたことがある。
 この後、いくつかの地方進出工場の設計を手がけて来たが、上記の手法を応用しながら、地域に優しい工場設計を目指している。
 環境カウンセラ−としての活動も当然この延長線上にある行動で良いと思う。

・ ニカラグアでの活動(平成6年より現在まで)
 若い時の夢「途上国へのお手伝い」がやっと実現した。中米の最貧国に 属するニカラグアの都市環境の汚染問題の解決策を探るため に、短期専門家としてJICAから派遣された。経済の破綻から、都市 に流入する人口が増加し、スラムが拡大している。行政のサ−ビス の遅れから、生活排水が道路を流れ、乾期の河川は工場排水と 生活排水を流す下水道となっている。 水道管と汚水がクロスして、水道水を汚染しがちである。また、蠅、 蚊の発生から伝染病が常時発生している。  生活ゴミや医療ゴミは埋め立て処分場に覆土もされず、捨てられ ている。このゴミの中から有価物を回収して生計を立てている人たちが大勢いる。  この現状は途上国の共通の問題で、日本を含む先進諸国にも 責任の一端がある。貧しい国では日本のゴミ処分場や下水処理場のよう に電気や機械をたくさん使うシステムは役に立たない。  私は日本で勉強した適正技術がどこまで使えるのかを現地の人々 とともに考えて行きたいと思っている。

・ おわりに
 自分自身、まだまだ未熟だと思っている。当事者と一緒に考え、 学んで行く姿勢を保ち続けるつもりでカウンセリングに臨みたい。

戻る