■旅の始まりにあたって
私は東京都中野区の哲学堂の付近に住んでいる。そして勤め先は
東京都新宿区の神楽坂にある。自宅から事務所までの徒歩通勤が
私の旅だ。その行程約9km、歩数にしてわずか1万2千歩の旅で
ある。が、鎌倉時代から数えても500年間の歴史が滲みついた道
を歩くのであるから、いくら歩いても飽きることはない。人に
教えたくない密かな楽しみではあるが、思い切って公開してし
まうことにしよう。地図と弁当をリュックにつめて、デジタル
カメラをウエストポシェットに入れて...
■出発は江古田大橋
まず、出発点は神田川の支流の妙正寺川がそのまた支流の江古
田川を合わせる江古田公園である。この公園には太田道灌と豊島
泰経、泰明兄弟が戦った(1474年)古戦場碑がある。
当時この付近は江古田ヶ原といわれ、低湿地帯だったという。こ
こでの戦いに破れた豊島氏は石神井城で滅亡する。(*1)
■終点は粋な町神楽坂

林芙美子記念館・新宿区中井
旅の終点神楽坂は江戸時代に今の町割りが作られ、明治、大正
から昭和初期に繁栄した街である。特に、関東大震災のあとに繁
栄した花柳界の面影が強い。バブル華やかなりし頃、ロッキ−ド
事件の主役たちが集った場所でもある。「一時期の日本の政治は
ここで動いた」とも...?
明治時代の文学の拠点、硯友社はここにあった。島村抱月と松
井須磨子が活躍した芸術倶楽部も、そして先代の水谷八重子もこ
こで育ている。
しかし、意外に知られていないのが、神楽坂は江戸時代に山の
手への生活物資の供給基地だったことであろう。(*2)
■どの道をいこうか?

神田川・新宿区高田馬場(*4)
さて、やっと出発だ。
しかし、歴史の町と歴史の町を結ぶ道にも
たくさんの歴史があ
る。どの道をいこうか?
道は大きく分けて3つある。
1つ目は南の道、早稲田通りを行く。哲学堂の東側の道を新井薬
師方向に向かう。この道は鎌倉街道中の道の一部だと言う。早稲
田通りに出て小滝橋で神田川を渡る。左に行くと高田馬場、右は
新宿に向かう。真ん中の道を行こう。学習院女子を前を通り穴八
幡で、高田馬場から来る早稲田通りに合流して矢来町とを経て神
楽坂に入る。坪内逍遙や夏目漱石、尾崎紅葉など明治の文学者ゆ
かりの地を通る文学の道。
2つ目は中の道、妙正寺川に沿って歩き、中井、落合、高戸橋
から神田川に沿って文京区の江戸川公園を経て、神田上水堰跡か
ら江戸川橋、子育て地蔵を抜けて、赤城坂を登って白銀町から神
楽坂に入る。その大半、川沿いの緑道を歩く花の道。
3つ目は北の道、新青梅街道から目白通りを経て鬼子母神、椿
山荘に至る。目白坂を下って、神田上水跡を辿り、石切橋で神田
川を渡って水道町から赤城坂を登るコース。目白通りは江戸時代
には清瀬市から物資を供給した「清戸道」だ。江戸の生活のニオ
イを感じる歴史の道。江戸城の太田道灌はこの道を進撃して江古
田ヶ原に向かったと言う。
また、この道はいくつかのバリエ-ションコ-スもあるのだ。(*3)
■平日は中の道

水神社・文京区目白台
川沿いは公園や緑道が整備されていて車の通りも少ない。平日
はもっぱらこのルートをたどる。道は妙正寺川に沿って行き、東
洋大学の創始者、井上円了が哲学するために作った「哲学堂」を
抜けて、新宿区の中井に至る。女流作家の林芙美子の旧居が記念
館として公開されている。南斜面に平屋建てのなかなか住みやす
そうな和風の家だ。下落合には「ボタン寺」で有名な薬王院や湧
水でホタルを育てている「おとめ山」がある。
現在、神田川は魚道を作ったり、川面に降りられるように改修
したり、親水性を高める工事があちこちで進められていて、近い
将来、水に親しめる川に変わるかも知れない。しかし、まだ、峡
谷のように狭まって濁流が渦巻く場所もある。(*4)
明治通りとの交差点、高戸橋で都内唯一の都電・荒川線と出会う。
ここを過ぎると緑道は両側とも桜並木になる。サクラの並木が両
側からかぶさって、川と緑道を覆う。春は豪華な桜のトンネルの
下をご機嫌で辿って行く。元、細川邸の新江戸川公園、関口芭蕉
庵、椿山荘、江戸川公園と続く緑の道は東京の真ん中を歩いてい
るとは思えないゆったりとした気分を味わえる。電車で通勤して
いる人に恨まれそうな、ゆとりの旅を毎日楽しんでいる。
(所用時間 1時間30分 ダイエットに最適)
脚注
(*1)
このあたりはもっと歴史を遡ると、遠く、11000〜23000前の氷
河期まで遡れる。昭和12年に発見された江古田植物化石層は考
古学的に重要な場所だという。
(*2)
当時、江戸幕府は水運を重視して、それまで東京湾に流れ込んで
いた利根川を付け替えて房総に送り、川越からの川の道を確保す
るために新河岸川の改修などを手掛け、蔵前に巨大な流通基地を
作っていた。この基地から運河を通って生活物資を運んでいたの
だ。神田川ルートは現在の飯田橋五差路にある舟河原橋から、外
壕の飯田壕に入る。飯田壕と次の牛込壕との境は滝となっていて、
舟は上がれない。この行き止まりが神楽河岸と言い、麹町、四谷
などの山の手台地に物資を供給する基地になっていたのだ。全国
の水運の終点がここ、神楽坂だったわけだ。
(*3)
千川上水跡を辿る:南長崎−大山−板橋−巣鴨−本郷−後楽園−
牛天神−白鳥橋−神楽坂
谷端川跡を辿る:目白−池袋−上板橋−大塚−千石(ここから尾根
へ)−茗荷谷−石切橋−神楽坂
弦巻川跡を辿る:千登世橋−鬼子母神−雑司ヶ谷ー護国寺−江戸
川橋−神楽坂
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