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2002/11/9「会津若松「そばと酒」の旅」 記録
東京駅23番線 朝7時56分
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今回は参加者5名と大変少なかったで、直接会津若松に集合して、
地元の乗用車で行動することにした。生憎、強い寒波が日本列島を襲い、
各地に記録的な初雪を残していた。会津若松では半月から1ヶ月も早い
気候だったと言うことだ。
東京から乗った新幹線からは関東山地や富士山をはっきりと見る
ことができたが、小山から宇都宮に掛かるころ、日光の山々は厚い
雲に覆われて山頂あたりでは雪が降っているいるであろうことを
伺わせる風情だった。
御薬園の池
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空は高曇りになってはいたが高原山も那須岳も雪雲の中にあって、
見ることはできない。
郡山で磐越西線に乗り換える。
空は曇ってはいるが遠目が利くので車窓は飽きの来ない景色が続く。
磐梯熱海を過ぎるころから霙が降りだしてまだ紅葉が進んでいない
木々に降りかかる。
これから気温が下がると本格的
な雪になるのだろうか。

名刹・勝常寺薬師堂(湯川村)
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猪苗代の辺りは、はっきりとした雪が降っていたが、会津盆地まで
下りてくるとここは霙だった。冷たい風と霙の中をスタッドレスタイヤ
を履いた車で昼食開場に出発。途中、名刹の勝常寺で国宝や重文の仏像
を見学する。古いお寺で807あるいは810年の創建と伝えられている。
現在の寺域は小さいが薬師堂は600年ほどの前の建設だということで
歴史を感じさせる作りになっている。堂内の回廊の床板はすり減っていて
堅い節部分のみが盛り上がって残っている。
会津盆地の歴史は古く、5〜600年代の大和政権の確立頃には既に
この地に仏教入っていたらしい。状況を考えれば新潟から阿賀野川〜
阿賀川を経ての交流の方が、内陸ル−トよりずっと可能性が高いだろう。
実際に会津盆地は完全に山に囲まれた大きな盆地で、出口は阿賀川
から新潟に出ているのみ。只見町から小出に出る。田島から今市に出る。
会津若松から郡山の出る。いずれの道も険しい峠を越えなければならない。
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前方後円墳(会津坂下)................農業用水円形分配堰
大和政権側との交流の証拠と思われる、前方後円墳や副葬品が多数
出土している。会津盆地を中心に見ると福島県地方だけでなく周辺県
を見回してもここに匹敵する平野は無いのだという。云われて、頭の
中で地図を描いてみると、大きなものは新潟や仙台くらいしか思い当
たらない。確かに穀倉地帯として豊かな地方だったことが伺える。
南に大きな水瓶(猪苗代湖)があって豊富な農業用水を供給している
ので、日照りによる水飢饉なども少なかったのではないだろうか?
しかし、勝常寺には水乞い地蔵尊があるので全く水飢饉がなかったわけでは
ないだろう。
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飯盛山のモミジ.....................御薬園の紅葉
昼食をそば打ち体験をして「頂く」という山都(やまと)町の
飯豊とそばの里センタ−で取った。
この山都のそばは色白でよく粘りが出るので「つなぎ」なしの十割
そばだという。そばを練るコツは、まず熱湯で一気に練り上げ、
少量の水でさらにまとめる。水分とよく馴染ませて綺麗なそば玉を
作るのだそうだ。この後、丁寧の薄くのばしてたたみ返して細く
切りそろえる。
ということだそうだ。
茹で上げたそばをすぐに食した。腰があり喉越しの触感のよい旨い
そばだ。そば打ちから食事まで約1時間を要した。
このそば打ち体験は要予約
飯豊連峰といえば東京から最も遠い山域の一つなので、あまり馴染み
はないが、憧れの山である。記憶では新潟県と山形県を隔てる山脈
だと思っていたら、福島県境とも重なっているという。この山都町
からのアプロ−チが「一番便利ではないか?」ということである。
「ん〜〜〜」どうだろう?しかし一番なだらかな山行となるかも知れない。
飯豊連峰を南から縦走するならやはりここからになる。しかし東京
からのアプロ−チを考えると、やはり遠い。
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