鬼子母神から

  
鬼子母神本堂  ・ 樹齢600年を越える大イチョウ


目白通りを都心に向い、千登世橋を渡ると明治通りと
都電荒川線を跨ぐことになる。ここからすぐに左に
入る道がある。都電の鬼子母神前駅でもう一度線路を渡り
返すと、すぐ鬼子母神の参道に入る。参道は大ケヤキの並木で
昼なお暗い。並木に沿って続くみやげ屋や、休み所が
軒を連ねる。突き当たったところに大きなマンションがあるが
建設当時は建設反対の看板があちこちに立てられていたのに
今はなにごともなくて当時の気配はどこにも見あたらない。

鬼子母神には保存樹に指定されているケヤキが
多いが、樹齢600年を越える大イチョウがひときわ
見事に天に向かって聳えている。


 
江戸川橋へ
鬼子母神から東南に低いところを拾いながら辿る。この道は昔の谷に違いない。
狭い道の左右は登り坂で、奥には大谷石積みの石垣が見える。
まるで深い谷底を下って行くようで異様な不安を感じるのは、左右の
崖と家並みに圧迫されるからだろうか?
緩くくねりながら下って行くと、不忍通りに突き当たる手前で大きく
東に曲がって不忍通りと平行する。この二つの道の高低差は1〜2m
程度あるだろうか?不忍通りと反対側(北側)は急坂や石垣で10数mの
崖となっている。そうだ、ここの地割りは江戸時代からほとんど変わって
いないに違いない。何かの本で雑司ヶ谷の町屋の
成り立ちを読んだような覚えがある。...が、思い出さない。

音羽通りの交差点に出る手前の崖上に
見覚えのある建物を見つけた。
アユミギャラリ−で「ヤモリの棲む家」として紹介されている
高尾事務所ではないか!

護国寺の大きな交差点は上を高速道路(5号池袋線)が覆いかぶさって、
人気も少なく薄暗い。高速道路の下の横断歩道橋から見渡すと、東西に走る
不忍通りは前も後ろもせり上がっていて、ここが谷底だということがよくわかる。
南北に交差する音羽通りは池袋方面から来て、
クランク状に曲がりながら 江戸川橋方向に向かっている。
(蛇足だが、不忍通りを東に登る坂は「富士見坂」という)

 江戸切絵図を見ると、当時の音羽通りは江戸川橋から一直線に護国寺まで
延びている。これは、ほぼ現在の音羽通りの位置である。しかし川は書いてない。
すると雑司ヶ谷から来た谷はどこに行ったのだろうか。
明治12年の東京実測図を引っぱり出してみると音羽通りに沿って護国寺を背に
して右側の目白台の崖下、現在の高速道路の真下あたりに流れが見える。よく見ると
音羽通りの左側にも川が流れている。護国寺を建設した当時に
豊島ケ岡方面からの流れは分流させて真ん中
に参道を通していたことがわかる。なるほど、小日向台の下にも川のあと
のような道路があるのはその名残かも知れない。
 この2つの流れは江戸川橋際で神田上水と交差するが、
神田上水は樋で上を渡ったのだろう。


「高尾事務所」     「護国寺交差点」

−メモ−
雑司ヶ谷を流れる谷(弦巻川)の水源は池袋駅の西側、現在の立教大学あたり
にあった池らしい。そして、音羽通りを隔てて反対側の谷(水窪川)は富士見坂を横切って
現在のサンシャインシティ手前あたりまでたどることができる。
2000年10月10日(火)小窪川→水窪川に訂正 近世三都の水事情・山野寿男著・日本下水文化研究会
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